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日本の結婚式の歴史と文化を知ろう|ブライダル基礎講座

公開日 2021/04/30

このブライダル基礎講座は、ブライダル業界専門の転職支援サービス「ウェディングミーキャリア」がお届けするブライダル業界で働く人なら知っておきたい基礎知識をまとめたWEBコンテンツ。
ブライダル業界の全体を知り、より実践に近づく業務を知ることができる内容をお送りします。

日本の結婚式

今回のテーマは『日本の結婚式の歴史と文化』についてです。結婚は、時代によって形を変えながら今日に至り、結婚をとりまく風習も同様に変化しています。ここでは、日本の結婚を振り返りながら、現代の日本のブライダルをつくってきた歴史や文化について考えていきましょう。

日本の結婚の歴史を振り返るに当たり、ここでは、
・結婚の儀式の誕生と成立(古代~近世)
・神前式の確立から大衆への定着(近代)
・ブライダルビジネスの確立と隆盛(現代)
という3つの大きな流れに区切って解説していきます。

1. 結婚の儀式の誕生と成立(古代~近世)

古代

古代の日本人は性に対しておおらかで開放的であり、恋愛と結婚の境は明確ではなく、特別な儀礼も行われていなかったようです。結婚に近い習俗としては、男性がヨバヒによって女性を探し当て、相手が許せばその場で交合するという、「妻問婚(つまどいこん)」が行われていました。

平安時代(8~12世紀)

平安時代になると、結婚の形もしだいに自由恋愛の「妻問婚」から女性の親が婿を決定する「婿取婚」へ変化していきます。貴族社会の「婿取婚」では、男性の忍び通いが3晩続くと結婚の意思があるとみなされ、3日目の夜には餅を食べて祝う「三日夜(みかよ)の餅の儀」が行われました。夜が明けると、露顕(ところあらわし、所顕とも)と呼ばれる祝宴が催され、これをもって結婚の成立とされました。

鎌倉・室町時代(12~16世紀)

鎌倉時代に入り、封建的な父権優先型の社会になると、武家の社会では、男性の家に女性を迎え入れる「嫁取(嫁入)婚」が広まりました。女性は生家を離れて男性の家に入るという、近代の結婚に近い形が生まれたのです。
結婚にまつわる儀礼もこの時期に整い、婚約の際に盃事(さかずきごと)や呪術的な儀礼(占いや祈祷など)を行ったり、親戚や知人を招いた祝宴を開いたりするなど、現代に近い形に変化していきました。

古代『古事記』の中の結婚

『古事記』では、日本の誕生はイザナギノミコトとイザナミノミコトの結婚による国産みからはじまります。天之御柱をイザナギが左から、イザナミが右から回って結ばれたとされ、結婚の起源ともいわています。

結納の起源

婚約の儀式である「結納」は古くは「納采(のうさい)」と呼ばれ、仁徳天皇の時代までさかのぼる皇室の儀式「納采の儀」からきているといわれています。

引き出物

日本では昔から宴会の招待客に、引き出物を配る習慣がありました。引出物の語源は「引き出す」で、平安時代、饗宴に招いた客に、帰りに馬を引き出して贈ったことが、その名の由来といわれています。

三献の儀(さんこんのぎ)

盃事とは、約束を固めるため杯をとりかわして、出席者全員が注がれた酒を飲むことをいいます。三献とは、中世以降の酒宴の礼法のひとつで、一献につき、大・中・小の杯で1杯ずつ酒をすすめ、二献、三献と全部で9杯の酒を呑む儀礼です。酒肴(お酒を飲む際に添える食べ物)がそなえられる時は、一献目が打ち鮑、二献目が勝ち栗、三献目が昆布という内容でした。出陣や帰陣、式典などの重要な儀礼で、式三献ともいわれています。
現代の神前式で行われる三三九度は、この三献の儀(さんこんのぎ)に由来しています。

江戸時代(17~19世紀)

江戸時代に入ると、庶民の間でも見合いや結婚の儀礼が行われ始めます。武士は親が相手を選び、町人は見合いをして、縁組となりました。子どものうちから親同士が婚約を結ぶ許嫁(いいなずけ)の風習があったのもこの時代です。
戦国時代の風潮が残っていた江戸初期には、武士は13歳以上であれば結婚が許されましたが、その後平和な時代が続くにつれて晩婚傾向となっていきました。

輿入れ(こしいれ)

江戸時代の結婚では、嫁の乗った輿を婿の家にかつぎ入れる「輿入れ」が儀式の大事な要素となっていました。武家や裕福な商家などでは、着飾った花嫁とともに、多くの嫁入り道具を行列して運びこむ「嫁入り行列」が華やかに行われました。豪華絢爛な嫁入り行列として特筆されるのは、1620年(元和6)に行われた2代将軍秀忠の娘和子の皇室への嫁入り(入内の儀=じゅだいのぎ)で、和子は豪華な牛車(ぎっしゃ)に乗り、諸大名や公家も参列。花嫁道具類を運ぶだけでも数千人を連ねる大行列であったといわれています。

婚礼衣装

江戸中期以降の武家の花嫁は、白無垢を着て、髪は文金高島田(ぶんきんたかしまだ)に結い、綿帽子をかぶるのが一般的でした。白無垢とは、内掛、帯、綿帽子をはじめ、下着から小物まですべて白一色に統一したものです。文金高島田は、男性に流行していた文金風の髪型を女性向けに優美にアレンジしたもの。元文年間(1736~40年)に鋳造された金貨「文金」が流通し始めたころだったので、この名がついたといわれています。
花婿は、裃(かみしも、上下とも書く)を着るのが一般的でした。

江戸庶民の結婚式

裕福な商家などでは、花嫁は振袖や留袖、花婿は紋付羽織袴を着用し、嫁入り行列なども行われるようになりましたが、江戸庶民の場合は、店請人(たなうけにん)、つまり借家の保証人などに仲人を頼み、形だけの三三九度をすませて、料理と酒で祝うという簡素な婚礼が多くみられました。特別な衣装ではなく、普段着で行われることも多かったといいます。

綿帽子と角隠し(つのかくし)

綿帽子は、頭髪を袋状の白絹ですっぽりおおう形式で、白無垢だけに合わせるものです。花婿以外に顔を見せない、という意味があるとされています。角隠しは、長方形の白絹を髪に留められるようにしたもので、本来は色打掛と本振袖に合わせるが、白無垢につけることもありました。角を隠して従順になる、という意味があるとされています。

2. 神前式の確立から大衆への定着(近代)

近代の日本で、結婚式の主流をなしたのが「神前結婚式(神前式)」です。神前式は明治時代に上流階級から始まって一般に広まり、結婚式と披露宴を行う現代のような結婚式の形がつくられました。ここでは、現代結婚式のルーツともいえる神前式を中心に解説していきます。

明治時代(1868~1912年)

明治時代に入ると、欧米文化が入ってきたことにより日本でも結婚式に様式美を求めるようになりました。欧米の結婚式の流れを模して神社で儀式を行う「神前式」が生まれ、日本の結婚式のスタイルとして定着していきました。

神前式の広がり

神前式が一般に広まるきっかけになったのが、1900年(明治33)に宮中で行われた当時の皇太子嘉仁(よしひと)親王殿下(後の大正天皇)と九条節子妃(後の貞明皇后)との神道式のロイヤルウエディングです。その翌年、日比谷大神宮(現在の東京大神宮)では、一般の人々を対象にした模擬神前式が行わました。日比谷大神宮は、日本初の本格ホテルである帝国ホテルと距離的に近いため、日比谷大神宮で神前式を行い、帝国ホテルで披露宴を行うという、現在につながるスタイルが登場した神社です。

永島式結婚式

神前式はその後、昭和に入って急速に拡大しましたが、その理由のひとつがホテルや会館などで挙式できるようになったことです。そして、その布石となったのが、新しい結婚式のスタイルとして1909年(明治42)に行われた「永島式結婚式」でした。これは、当時の東京市麻布区で結納物調達商を商っていた永島藤三郎が、「結婚式を荘厳かつ簡便に行いたい」と考案した出張型の神前式スタイルで、神主や巫女、雅楽奏者にいたる神前式に必要な人材や道具一式を揃えて、個人の家や会館などに出向くという先進的なものでした。

大正時代(1912~1926年)

永島式結婚式は人々に歓迎され、大正時代になると、当時増えつつあったホテルや会館などでも行われるようになりました。こうした中、帝国ホテルでも永島式結婚式が導入され、結婚式と披露宴、ホテル内での美容や写真館での撮影などを組み合せた、現在のホテルウエディングの原型が誕生しました。昭和に入ると、各地のホテルや会館などでも館内に近代的な結婚式場を開設するようになり、現在のウエディングに近い形ができていきました。

昭和時代(1926~1989年)

神前式が隆盛を迎えるのは、昭和20年代半ばからです。第2次世界大戦が終わり、戦後の結婚ブームが起こると、戦後民主主義と経済成長の波にのり、結婚式にも変化がみられるようになりました。
結婚式専門の式場が次々とつくられ、それまで三三九度と親類縁者の祝宴を新郎の家で行っていた庶民の結婚式も、こうした結婚式場やホテル、会館などに場を移すようになります。戦前は一部の上流階級のものでしかなかった神前式も、広く一般庶民に普及していきました。

新婚旅行の普及

坂本龍馬と妻のお龍が始めたとされる新婚旅行が一般に普及するのは、東京の新婚カップルが熱海や湯河原に新婚旅行に出かけるようになった昭和の時代からです。新婚旅行客の集中する下りの熱海行きは「新婚列車」とも呼ばれ、1959年(昭和34)には同名の映画が上演されるほど、メジャーな存在でした。

3. ブライダルビジネスの確立と隆盛(現代)

日本では1970年頃に婚姻件数が年間100万件台のピークに達しています。70年代までの高度経済成長により人々の生活は豊かになり、結婚式のスタイルもどんどん華やかになっていきました。90年代に入ってバブルが崩壊すると、結婚式も個性重視の時代へと変化し始めます。

神前式からキリスト教式へ(1970年代~)

1960年代に隆盛を極めた神前式は、その後、徐々に減少を始めます。代わって台頭したのが、キリスト教式結婚式です。結婚式のスタイルは、“儀式はホテル内の神殿、披露宴は宴会場、花嫁は文金高島田に打掛”という神前式から、“白いウエディングドレスを着て、チャペル(礼拝堂)で誓いの言葉を述べる”キリスト教式にとって代わり、ホテルや結婚式場もキリスト教教会と提携したり、庭園や屋上にチャペルを増設したりするなど設備・サービスを整えて行きました。

ハデ婚の時代へ(1980年代~)

経済の活況にわいた80年代後半のいわゆる“バブル期”には、結婚式への支出総額が増え、ブライダル産業も急激な成長期に入りました。新郎新婦がゴンドラやヘリコプターに乗って登場したり、レーザー光線やドライアイスを使用するといった大がかりな演出が話題になるなど、様々な結婚式のスタイルが生まれていきました。

オリジナル婚の時代へ(1990年代~)

90年代初めにバブルが崩壊すると、結婚式・披露宴を行うカップルが「自分たちらしさ」を追求する傾向が強くなり、オリジナルの演出や料理などが求められるようになりました。結婚式の会場も従来のホテルや専門式場から、レストラン、ゲストハウス、船上、ガーデンなどに拡大。海外ウエディングや国内リゾートウエディングも人気を集めるようになっていきます。
 
その一方、結婚式にお金をかけない、いわゆる「ジミ婚」の流れも起きました。結婚しても結婚式はしない、もしくは少人数でパーティのみを行うなど、ブライダルも多様化の時代に入っていきます。
 
2000年代に入ると結婚式を両家ではなく、自分たち主催で行うカップルも増加し、それに伴って結婚のお披露目をする「披露型」から招待客をもてなす「おもてなし型」の結婚式が増加しています。

まとめ

今回の『日本の結婚式の歴史と文化を知ろう』では、日本の結婚を振り返りながら、ブライダルをつくってきた歴史や文化についてを書きました。

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